17/02/13
別居後に整える孤独な新生活
モラハラ夫と暮らしていた家を飛び出した私は、実家にも住むことが出来ず本当の意味での自立を迫られていました。
久しぶりの日本での生活に戸惑いつつも立ち止まっている状況ではなく、ただひたすらに目の前のことをこなす日々。
そんな時でも小さな子供は待ってくれることはなく、孤独な育児との戦いも同時にスタート。暗く辛い想いに堪えつつ、自分の力だけで現実に立ち向かおうとしていました。
新生活に付きまとう 金銭感覚の狂い
夫と同居していた時との経済状況のギャップと、さらに長く海外に居住していたのも相まって、金銭感覚が大きく狂っていることに気がつきました。
夫から経済的暴力を受けていて十分な生活費をもらっていたわけではなかったのですが、それでも別居後の状況は以前とは大違い。
就職活動用のスーツをデパートで数万円もするものを平気で買ってしまい、後から後悔をすることも。気がつくとブランド物のお財布を買おうかと品定めをしている自分がいて、別居後とは思えない金銭感覚でした。
無職な上、保育園に入園出来ていない子供が居て、家賃や生活費だけはかさんで行き、貯金を崩すばかりです。
実際に借りることが出来たのは、築年数が相当経っていて見た目もかなり古い木造アパートでした。
こんな家にしか住めない状況なんだと徐々に自覚していきました。
やるべきことと子供のケア
別居当時は、精神的にも肉体的にも疲れ切っていて目の前のことをするだけで精一杯でした。
視野を広く持って考えたり、落ち着いて判断したりすることが難しい状況なのです。
あれこれとスマホで何かを検索することすらできないほどの無気力が襲ってきます。
引越し、荷物の整理、保育園申し込み、仕事探し、女性相談所に相談したりと様々なところへ電話をしたり出向いたりと、とにかく必死でした。
その間も子供は私に相手にしてもらえずストレスが溜まり大暴れ。
仕舞いには、小さいながらも別居がショックだったようで「僕だってもう嫌だ!」と泣いて落ち込んでいました。
新しい土地での生活を始めたばかりだったので、息抜きをしたりやるべきことをしたりするために少しの間でも子供を預かってくれるような知り合いも当時はいませんでした。
子供のケアまで十分に出来ずにいた中で、なんとか乗り切ることが出来たのは、デパートの託児ルームや子育てシェアサービス「asmama」のお陰です。
生活の立て直しをする時に子供が一緒だったのは大変だったとはいえ、子供がいたからこそ家出を決行しようという底力が出たし、別居後の孤独感も子育ての忙しさで少々紛れたことも確かでした。
幸せへの第一歩 孤独を十分味わうこと
この際だからと、なんのゆかりがなくても住みたい街を選んで移り住みました。
身内が近くにいない孤独な状況。
アパートから一歩出れば、私の目には誰もが幸せそうに写ってしまうのでした。
お父さんに遊んでもらっている子。楽しそうに歩いている家族。
誰をみても確実に私よりも幸せなはずだ、と決めつけていました。
「もう私には失ったもの。もうあんな家族にはなれない。私は幸せな家族を持つことが出来ない失格な人間だ」
今思えば、誰だって悩みもあるし辛いこともあります。
けれども当時の私は、自分の人生が絶望的にしか思えませんでした。
思いっきり孤独と悲しみを体験し、小さなことでも幸せを見つけることが出来るようになり、今ではだいぶ精神的に強くなりポジティブな自分になっています。
そんな辛い体験を含めて全てが、私の人生にプラスです。
次回は、別居後の夫や家族との関係についてお伝えします。
【駐在マダム、モラハラ夫からの逃亡記】の連載記事
全バックナンバーはこちら
・#5「モラハラ夫からの逃亡 家出の際に持ち出すべき大切な物」
・#6「いよいよ家出当日! モラハラ夫と一生のお別れ」
・#7「モラハラ夫から逃れられた反面 厳しい現実に直面」
・#8「別居後に整える孤独な新生活」
・#9「夫と義父母からの連絡に怯える日々」
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Key キー
孤独な海外生活の中、夫のモラハラに気がつき何とかしてこの状況を変えようと逃亡を計画。夫の留守中に置手紙をしてスーツケース3個とゴルフバックそして子供を抱えて日本に逃げ帰ってきました。現在、派遣で働きながら一人で子育てをしています。
ブログ「海外駐在マダムから築古アパート暮らしシングルマザーを選んだKeyのハッピー逃亡記」
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