17/02/02
モラハラ夫から逃れられた反面 厳しい現実に直面
どうしても実現させたかったモラハラ夫からの逃亡。それが成功した途端に、今度は一人で立ち向かわなくてはならない現実が待ち受けていました。
それは、予想通りの経済的な厳しさは言うまでもありませんが。夫はモラハラだったとは言え、一緒に暮らす家族が一人減ったことによる寂しさが急に襲ってきました。
さらに家出をしてきたことによる罪悪感で暗い気持ちになり、本当にこれで良かったのかという自問自答の日々が始まりました。
現地空港で感じた挫折感とこれからの不安
到着ロビーに到着して、ここからは自分の足で歩いていくのだということを嫌でも感じることになりました。
それまでは日本と現地を行き来する時のフライトは、会社が用意してくれた日系の航空会社のチケット。
しかし、この時から自分のお金でチケットを購入していた私は、日系航空会社のものは高くて買えるはずもなく、なんとか手に出来たのは現地の航空会社の安いチケット。
今まで何気なく乗っていた飛行機も、専属運転手とメイド付きの豪邸での普段の生活ももちろん会社から提供されていたわけで、実はとても恵まれた環境だったということに気づかされました。
私はこれから小さな子供とたった二人でどうやって生活していくのだろうかと不安なまま、成田空港に到着。
ようやく夫と離れられて嬉しいはずなのに、目の前はどんよりと暗い世界にしか見えず、それでもひとつずつただ前へ進むしかありませんでした。
家出後に一番無くて困ったものは、失われた自分の決断力
何をするにしても「決断」をしてからの行動であるということに気がついたのもこの頃でした。
それまで、夫が食べたいものも行きたいところも、お金の使い方も管理も何もかも決め、舵を取っていました。
私はモラハラ夫に決断することを奪われていました。
今考えれば、自分自身で決断や判断することを諦めて夫に全てを委ねていた自分も悪かったのです。
経済力のない専業主婦だって、なんでも決断して良かったはずなのに。
さらに弱い自分に仕立てていったのは、自分の責任。
何もかも決められない自分になっていました。
それは、スマホの契約をするか否か、どこに住もうか、家賃はいくらなら払えるのだろうか、熱が出たけど病院に行こうかどうしようか、とたいしたことのないことでも悩み、その度に周りの人に判断を委ねようとしていました。
さらに久しぶりの日本での生活に不慣れで、困ることもたくさん。
その頃の私にとって日本に居るだけで、目の前は試練ばかりでした。
別居後の新たな問題 毒親の存在
帰国後は当たり前のように実家に帰った私ですが、傷ついて帰ってきた娘に対して、両親は少しくらいは労ってくれると思って期待していたのは大間違いでした。
夫に置手紙をして子供を連れて、日本に帰ってきたという事実を知った両親は怒り狂い、怒鳴り、貶され、夫に失礼じゃないか、出て行け、金目当てで帰ってくるな、母子家庭で子供を養育なんかできるはずがない、親権はお前じゃなくて夫側だ、などと全否定をされたのでした。
自分の親だからこそ、理解して欲しかったし優しくしてもらいたかったがそれは叶わぬ夢。こんなにも酷い親だったとは知らず、ただ絶望するだけでした。
こうして居場所を無くした私は、仕方なく実家を後に。日本に帰国後たったの2週間後の出来事でした。
家無し、家財道具無し、仕事無し、保育園無し、子育ての援助無しの私は、本当の意味での孤独を味わいながらも少しでもどん底から抜け出そうともがいていたのでした。
次回は、どのように生活を整えていったかをお伝えします。
【駐在マダム、モラハラ夫からの逃亡記】の連載記事
全バックナンバーはこちら
・#4「モラハラ夫との生活に終止符! 家出の決意とその後の行動」
・#5「モラハラ夫からの逃亡 家出の際に持ち出すべき大切な物」
・#6「いよいよ家出当日! モラハラ夫と一生のお別れ」
・#7「モラハラ夫から逃れられた反面 厳しい現実に直面」
・#8「別居後に整える孤独な新生活」
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Key キー
孤独な海外生活の中、夫のモラハラに気がつき何とかしてこの状況を変えようと逃亡を計画。夫の留守中に置手紙をしてスーツケース3個とゴルフバックそして子供を抱えて日本に逃げ帰ってきました。現在、派遣で働きながら一人で子育てをしています。
ブログ「海外駐在マダムから築古アパート暮らしシングルマザーを選んだKeyのハッピー逃亡記」
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