24/12/10
60歳貯蓄ゼロでも「年金の繰り上げ受給」してはいけない5つの理由
65歳から本来もらえるはずの年金を、60代前半にもらい始める「繰り上げ受給」。60代を迎えても仕事に就くことが当たり前になった今、繰り上げ受給を選択する人の割合は減少傾向にあるものの、貯蓄額が少なく生活に余裕がない家庭では、繰り上げ受給の検討をしているかもしれません。最近ではさらに、早くもらい始めた年金を原資に、NISA(少額投資非課税制度)等の制度も活用しながら、投資運用で資産を増やすことを推奨する声も聞かれますが、果たしてそれは適切な選択なのでしょうか。
そこで今回は、貯蓄ゼロの人ほど、繰り上げ受給をしてはいけない5つの理由を紹介します。
貯蓄ゼロで繰り上げがNGの理由(1):減額率は亡くなるまで変わらない
歳を重ねるごとに公的年金収入への依存度が高まるなか、まだまだ長い老後の家計収支のリアルを無視して、繰り上げ受給を選択するのは危険です。
老齢年金の受給開始を65歳より前に早めると、「0.4%(1962年4月1日以前生まれは0.5%)×65歳に達する日の前月までの月数」だけ、年金額が減ることになります。例えば、60歳に到達してすぐに繰り上げ受給を始める場合の減額率は24%(0.4%×60ヶ月)となり、どんなことがあっても終身変わりません。
収入総額に占める公的年金収入割合の平均は、年齢が高いほど高くなっています。つまり、歳を重ねるほど生活を年金に頼るようになるということです。繰り上げ受給を選択して年金額が減ると、その分老後の生活も苦しいものになってしまいます。
<収入総額に占める公的年金収入割合の平均>
厚生労働省「年金制度基礎調査(老齢年金受給者実態調査)2022年」より筆者作成
●赤字が続く年金生活者の家計収支
「老齢年金受給者実態調査(2022年)」によると、繰り上げ受給をしている65歳未満の55.7%が、繰り上げ受給をした理由として、「年金を繰り上げないと生活ができなかったため」と回答しました。「生活の足しにしたかったため」と回答した17.8%と合わせると、繰り上げ受給者の7割が、年金なしでは家計のやり繰りが難しいことがうかがえます。
「60代前半は仕事に就きながら繰り上げ受給をしている」という人は、現在の生活は問題がなくても、60代後半以降も無職世帯では赤字が続く傾向にある点は見落としがちです。
二人以上の世帯のうち無職世帯の1ヶ月の家計収支を見ると、実収入から実支出を引いた「黒字」の項目がマイナス(=赤字)になっています。黒字を可処分所得で割った「黒字率」を出してみると、繰り上げ受給をしていると考えられる60~64歳の世帯と、65歳以降の世帯ではまったく異なり、60~64歳の世帯のほうが明らかに多くなっています。つまりその分、繰り上げ受給をしている世帯のほうが、生活が苦しくなりやすいというわけです。
<二人以上の世帯のうち無職世帯における1ヶ月間の家計収支>
総務省統計局「家計調査年報(家計収支編)2023年」より筆者作成
もしかすると、繰り上げ受給のデメリットを痛感するのが今ではないことが、「繰り上げ受給をしないほうがいい」という適切な判断を難しくしているのかもしれません。
ちなみに、世帯主が60~69歳の勤労者世帯(二人以上)では、毎月の黒字額は約9万円で、その黒字率は22.8%。したがって、60代前半は繰り上げ受給に頼ることなく、就労や家計の見直しによって、家計のバランスを確保できるように努めたいところです。
繰り上げ請求をしなければ、本来の65歳から受給を開始する、もしくは66歳以後に繰り下げて増額された年金を受け取るといった選択肢を持ったうえで、次なる対策を講じることができます。
●長生きするほど損な繰り上げ受給
先ほどの「老齢年金受給者実態調査」によると、繰り上げ受給をしている理由として、「減額されても、早く受給する方が得だと思ったため」と回答した65歳未満の割合は18.8%でした。貯蓄ゼロで60歳を迎えた人にとって、目先の生活を補てんすることを目的に決めた繰り上げ受給が、生涯全体で考えると実は損することになるかもしれません。
例えば、65歳から180万円の年金をもらえる予定の人が、60歳に到達してすぐ繰り上げ請求を行うと、減額率24.0%(0.4%×60ヶ月)を反映した136.8万円が、亡くなるまで支給されます。そして、注目すべきは支給総額です。「60歳から年136.8万円」と「65歳から180万円」のパターンを、支給総額(額面ベース)で比較をすると、80歳10ヶ月より先は、65歳から受給を開始した方が上回ることになります。
この事実をお話しすると、特に男性の中には、女性よりも寿命が短いことを理由に、繰り上げ受給を選択する人もいるかもしれません。
<寿命に関する指標>
厚生労働省「簡易生命表(2023年)」より筆者作成
たしかに平均寿命は男性が81.09年、女性は87.14年ですが、男性でも、出生者の半数が83.99年生存し、死亡する人が最も多い年齢は88歳であることを考えると、繰り上げ受給の「損得」は慎重に考える必要があります。
●「繰り上げ受給を原資にNISA」の盲点
みなさんは、『DIE WITH ZERO』(ダイヤモンド社)という本を知っていますか。人生の喜びを最大化する時間やお金の使い方を提案するこの本は、2024年に多くの注目を集めました。
『DIE WITH ZERO』においても、人生最後の日まで経済的な安心を得るのであれば、貯蓄よりも民間の保険会社が提供する「長寿年金」の購入が合理的であることが示されています。そして、日本では、公的年金がその保険の役割を果たしていることは言うまでもありません。
したがって、貯蓄ゼロで60代を迎えた人が安心を得るうえでは、繰り上げ受給はその営みに逆行するものと言えます。もしも繰り上げ受給によって減額された年金を投資に回すのであればさらに、市場(相場)のリスクにさらされることで、安心とは程遠いものになりかねません。
投資の世界における大原則は、「命金には手をつけるな」です。本来なら資産の取り崩し期であるこのタイミングで、NISAを活用して投資運用を始めるのであれば、(年金の繰り上げをせず)就労や家計のやりくりによって生まれた部分を元手に始めましょう。
貯蓄ゼロで繰り上げがNGの理由(2):国民年金の任意加入や追納ができなくなる
「厚生年金保険・国民年金事業年報(2022年度)」によると、2022年度における老齢基礎年金の平均年金月額は、満額の64,816円に対して、65歳からの本来受給者は57,625円、繰り上げ受給者は43,607円でした。
みなさんは、国民年金保険料の未納期間や、(追納をしいていない)免除期間や猶予期間等はありませんか。年金額が手薄な人ほど、基礎年金は満額に近づけておきたいところです。
しかしながら、繰り上げ請求をすると、保険料の追納や60歳以降の任意加入はできなくなってしまい、これ以上、基礎年金額を増やすことができません。2024年度の基礎年金額(月68,000円)を水準に考えると、任意加入1ヶ月で1,700円、1年で20,400円、それぞれ年金額を増やすことができます。ちなみに、2024年度の国民年金保険料は16,980円です。ついつい保険料の負担という短期的な視点で判断しがちですが、65歳から約10年(75歳)で元が取れて、それ以降の長生きに対応していることは忘れないでください。
貯蓄ゼロで繰り上げがNGの理由(3):iDeCoに加入できなくなる
公的年金の上乗せであるiDeCo(個人型確定拠出年金)のために拠出した掛金は、その全額が所得税や住民税を計算する際のベースとなる課税所得から控除(所得控除)されます。貯蓄ゼロで老後を迎えようとしている人にとっては、60代前半も仕事に就くことが最も現実的な選択肢ですが、節税しながら収入の一部を(一定の年齢まで)「開けられない貯金箱」で管理することで、効率よく資産を形成できるかもしれません。投資信託のみならず、元本確保型の定期預金や保険商品でも運用ができる点、それらから発生する利益に対して税金がかからない点もiDeCoの特徴です。
従来はiDeCoに加入し、掛金を拠出できるのは60歳未満の人に限られていましたが、2022年5月1日からは、国民年金に加入している65歳未満の人は原則だれでもiDeCoに加入できるようになりました。しかしながら、公的年金で繰り上げ受給を始めると、加入・掛金拠出ができなくなるので注意しましょう。
なお、iDeCoの加入年齢は次の改正でさらに「70歳」まで拡大する案が検討されています。したがって、この繰り上げ受給によるiDeCoへの加入制限は、今後ますますみなさんの資産形成に重大な影響を及ぼすかもしれません。
貯蓄ゼロで繰り上げがNGの理由(4):自分や家族が本来もらえる給付が受け取れない
国民年金やiDeCoに加入できなくなるばかりか、繰り上げ受給によって本来もらえるはずの給付が一部受けられなくなります。自分のみならず、案外見落としがちな家族がもらえなくなる給付についてもチェックしましょう。
●繰り上げ受給でもらえなくなる給付①:障害年金(事後重症による請求)
障害年金は、初診日から1年6ヶ月を過ぎた日あるいは1年6ヶ月以内にその病気やけがの症状が固定した日(障害認定日)において、法律が定める障害の状態であれば、障害認定日から受給権が発生しますが、障害認定日後に症状が重くなることは、よくあるケースです。そこで障害年金では、65歳に到達する日の前日(65歳の誕生日の2日前)までに請求が行われた場合には、その請求日をもって受給権が発生する「事後重症による請求」というルールが設けられています。
しかしながら、老齢年金の繰り上げ受給を請求すると、その時点で65歳になったとみなされ、「事後重症による請求」ができません。障害年金は非課税のうえに、障害等級2級の障害基礎年金の額は、老齢基礎年金の満額です。さらに、障害の程度がより重い1級の場合には、2級の1.25倍となる年金額が障害基礎年金および障害厚生年金ともに支給されます。したがって、「持病を抱えている=老齢年金の繰り上げ受給がお得」とは一概に言えないのです。
●繰り上げ受給でもらえなくなる給付②:寡婦年金
寡婦年金は、国民年金の第1号被保険者としての期間が10年以上ある夫が、基礎年金を受け取ることなく亡くなった場合、夫によって生計を維持され、10年以上婚姻関係のあった妻(事実婚も含む)が、60歳から65歳になるまでの間もらうことができます。その金額は、「夫の第1号被保険者期間だけで計算した老齢基礎年金額の4分の3」です。
したがって、夫が繰り上げ受給をしていた場合には、本来もらえるはずの妻が受け取れません。また、寡婦年金はいわば、妻が年金をもらい始めるまでの「つなぎ」です。したがって、妻が自身の老齢基礎年金を繰り上げ受給していても、寡婦年金の請求を行うことができないので注意しましょう。
●繰り上げ受給でもらえなくなる給付③:死亡一時金
国民年金の第1号被保険者(任意加入被保険者を含む)としての期間が36ヶ月(3年)以上ある人が亡くなった場合、遺族(配偶者、子、父母、孫、祖父母、兄弟姉妹の順)に、保険料を納めた月数に応じて12~32万円の死亡一時金が支給されます。
寡婦年金を受けられる場合には、死亡一時金とどちらか一方です。また、死亡一時金は、遺族基礎年金を受け取れる遺族がいる場合には受け取れないほか、故人がすでに老齢・障害基礎年金を受け取っていた場合には請求ができません。したがって、寡婦年金と同様、繰り上げ受給を選択する際には、家族への影響についても注目しましょう。
貯蓄ゼロで繰り上げがNGの理由(5):繰り上げた老齢年金がもらえない可能性がある
繰り上げ受給によって60代前半に老齢年金を受け取る場合、他の支給事由による年金給付や他の制度等との調整によって、全部もしくは一部が支給停止になる可能性があります。「どうせ支給停止になるなら、繰り上げなんてしなければよかった」とは後悔したくないですよね。
●併給調整による落とし穴①:「1人1年金」による支給停止
公的年金の大原則は「1人1年金」。65歳以降は特例で重複して受け取れる場合があるものの、支給事由が異なる老齢・障害・遺族年金の受給権を2つ以上有していたとしても、支給されるのは1つの支給事由に基づく年金のみです。
例えば、老齢基礎年金を繰り上げ受給している妻が、夫の急逝によって遺族厚生年金の受給権を得たとしましょう。このケースでは、65歳になるまでは老齢基礎年金と遺族厚生年金のいずれかを選択することになります。65歳以降は老齢基礎年金と遺族厚生年金をあわせて受け取れるものの、老齢基礎年金の額は繰り上げ受給による減額率が終身適用されることにガッカリするかもしれません。
●併給調整による落とし穴②:「在職老齢年金」による支給停止
賃金を得ながら繰り上げ受給するのであれば、「在職老齢年金」にも注意が必要です。1ヶ月あたりの賞与額を含む月額給与と老齢厚生年金の額が、「支給停止調整額(2024年度:50万円)」を超えていると、老齢厚生年金のうち50万円を超えた部分の2分の1の額が支給停止されます。老齢厚生年金が全部または一部支給停止されるうえ、将来にわたって、繰り上げによって減額された老齢厚生年金を受け取ることに対して、貯蓄ゼロで60歳を迎えた人もメリットは感じないはずです。
なお、在職老齢年金はあくまで厚生年金保険における制度なので、老齢基礎年金は支給停止となりません。
●併給調整による落とし穴③:雇用保険との併給調整
老齢厚生年金のみに影響を与えるものとしてもう一つ注目すべきは、雇用保険との併給調整です。もしも繰り上げ受給中に離職して新しい仕事を探すことになった場合には、失業給付(雇用保険の基本手当)を受けることができますが、その間老齢厚生年金は支給停止となります。
<失業給付と年金の調整の例>
日本年金機構「失業給付・高年齢雇用継続給付の手続きをされた方へ」より
さらに、60歳に到達した時点に比べて賃金が75%未満に低下した、雇用保険の加入期間が5年以上ある65歳未満の人は、「高年齢雇用継続給付」の支給対象です。対象者には賃金額の最大15%(2025年4月から10%)に相当する金額が支給されます。
しかし、老齢厚生年金をもらいながら厚生年金保険に加入している人が高年齢雇用継続給付を受ける場合には、(在職による年金の支給停止に加えて)標準報酬月額の最大6%に相当する老齢厚生年金が支給停止となることを押さえておきましょう。
繰り上げ受給最大の後悔は取り消しができないこと
今回は、貯蓄ゼロで繰り上げ受給をしてはいけない理由を5つ紹介しました。意外な落とし穴(制限)を目の前にして、「こんなはずではなかった」と思っても、時間を巻き戻すことはできません。
老齢基礎年金と老齢厚生年金は同時に繰り上げをしないといけないことに加えて、繰り上げ受給を一度選択すると取り消しができないことは、最後に強調しておく必要があります。
もっとも、繰り上げ受給を選ぶ人の割合は年々少しずつ減少し、代わりに繰り下げ受給を選ぶ人が増えてきているのも事実です。
<70歳の繰り上げ・繰り下げ受給状況率の推移(老齢基礎年金)>
厚生労働省「厚生年金保険・国民年金事業年報(2022年度)」より筆者作成
貯蓄額が少ない人にとって大切なのは、老後の備えに対する選択肢を広げておくことです。その意味でも、制限が多く加わる繰り上げ受給よりも、なるべく長く仕事に就きながら、65歳もしくは、できれば66歳以後に繰り下げることが望ましいと言えます。
しかし、実際に数字を見ないと実感が湧きませんよね。そこでまずは、老後の家計を「見える化」することから始めてみましょう。ファイナンシャルプランナーは、そんなみなさんの行動をサポートします。
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神中 智博 ファイナンシャルプランナー(CFP®)
1992年宮崎県生まれ。関西学院大学会計大学院を修了後、NTTビジネスアソシエ西日本で、NTT西日本グループの財務や内部統制等の業務に従事。2022年10月に兵庫県神戸市で独立系FP事務所ライフホーカーを開業し、現在に至る。家計相談に加えて、公的年金や確定拠出年金(iDeCo・企業型DC)を活用した資産形成に関するテーマを中心に、執筆・講演活動も展開。「老後不安バスター」として、だれもが老後に向けて自信を持てる社会を目指して奮闘している。CFP®(日本FP協会認定)の他、1級ファイナンシャル・プランニング技能士、1級DCプランナー、企業年金管理士(確定拠出年金)、一種外務員資格等を保有。
X(旧Twitter)→https://twitter.com/lifehawker
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